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    ☆善人のための医療講座 「善人のための医療講座」服部義博著

平成14年4月20日発刊
B6版。204頁。定価1,143円(税別)
ISBN4_87230_077_7 C0095 \1143
発行所 うらべ書房
TEL 0438-36-1116

平成13年12月8日付読売新聞にて紹介された医師服部義博さんのエッセー「善人のための医療講座」が4月に発売されました。 「対等の視点を持ち、相手の立場に立つ。このあたりまえの考え方が、今求められているのです」(本文より) 「人としてプライドを持った最期を迎える」ための医療者でありたいと、身体だけでなく心も一緒に看ていった服部さん。 末期がん患者との心の交流、家で死ぬこと、医者のかかり方、医療事故、告知等、このエッセーには、生と死に向き合いながらも服部さんの温かい人柄と強い信念が感じられる文章でまとめられています。 「こんな先生に会いたかった」そう言われるたびに、私は残念で胸がいっぱいになります。 ピュアを一緒に起こし、いま医療や福祉のなかで忘れられている『主役は患者本人』であることを広め、最期まで自分らしく生きることを支援していこうとよく話し合いましたね。 まさかその数ヵ月後に、服部さんの末期がんがわかり、在宅で死を迎えるとは思ってもみませんでした。 患者主体の在宅医療を死ぬ直前まで貫きとおした服部さん。 「あなたの思いはピュアが引き継ぎ、伝えていきます」と約束しましたね。 どうか天国で、すこしのんびりして見守っていてください。           NPOピュア代表 藤田敦子

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毎日新聞2002年(平成14年)12月17日(火)朝刊 千葉
街の色 人の詩 4
服部さんの"遺産"・・・・医療を地域で
在宅ケア市民ネット
「人としてプライドを持った最期を迎えるための援助をする医者でありたい」――。
NPO法人「千葉・在宅ケア市民ネットワーク ピュア」代表、藤田敦子さんは、今でもこの言葉をよく思い出す。 千葉市美浜区の病院に泌尿器科医として勤めながら、末期がんや泌尿器系患者の在宅医療に力を注いだ服部義博 さんが生前、自らに課した医師としての生き方そのものだ。
服部さんは10年ほど前、一人の勤務医から"脱皮"した。家族に担がれるように外来に訪れた老人の姿を目にした 時、「自分が患者宅に行ったほうが自然ではないか」との思いが胸を駆け抜けた。以来、病院勤務を続けながら、 在宅医療にも仕事の幅を広げた。
病は時を選ばない。夜中でも、出勤前の慌ただしい朝も、携帯電話が鳴れば、患者宅に向かう。激務の中で、服部 さんはがんに侵された。痛み止めを打ちながら仕事を続けたが、昨年4月、力尽きた。52歳だった。
服部さんの生き様は"遺産"を残した。生前、服部さんは藤田さんらと共に、患者と病院、主治医、福祉機関などで ネットワークを作り、医療を地域ぐるみで取り組む「ピュア」の設立準備に取り組んでいた。服部さんの死後、藤 田さんらが踏ん張り、昨年8月、設立にこぎつけた。
「在宅医療に長年取り組んだ服部さんの努力を無駄にしたくない」と藤田さんは言う。「在宅を希望する患者や 家族のために、医療と福祉事業の橋渡しをしていきます」
今年4月、服部さんのエッセー集「善人のための医療講座」(うらべ書房発行、1143円・税別)が出版された。 服部さんが「千葉をおもしろくする会」の機関紙「ねばぎば」に寄稿したエッセーを集めたものだ。
患者が親族と20年以上も音信不通だと知り、親族を探し出して患者を搬送し会わせようとしたこと。大好きな ロッテマリンーズの追っかけ旅行先の福岡で痛みに耐えられず救急車に乗ったこと――。軽妙なタッチで、生と死 に向き合う日常の出来事がつづられ、服部さんの患者への思い、在宅医療にかける熱意がにじみ出る。
「こんな先生がいたんだ」という驚き。そして「こういう先生なら病を癒やしてくれるだろう」と勇気付けられる。 【渡辺洋子】


平成13年12月8日(土) 読売新聞朝刊
エッセー出版計画 「善人のための医療講座」
 在宅医療の夢、闘病記す
在宅医療に力を尽くし、自らもがんに倒れ自宅で亡くなった医師の遺族らが、医師が市民グループの会報に連載したエッセーの出版を計画している。末期がんの患者との触れ合いや、在宅医療専門の診療所をつくる夢、自らの体調不良と闘う様子など、軽妙な筆致ながら、生と死に正面から向き合った医師の本音が率直につづられたエッセーだ。

  この医師は、千葉市美浜区の「みはま病院」副院長で、今年4月、胃がんのため52歳で亡くなった服部義博さん。千葉ロッテの熱心なファンでもあった服部さんは、飲食店店主の野口雅一さん(48)らのグループ「千葉をおもしろくする会」の会報「ねばぎば」に、ロッテを応援する原稿を寄せていたが、1997年夏から、「善人のための医療講座」と題した連載を始めた。

  当初は、医師として会員の相談などに答えるのが目的だったが、回を重ねるに連れ、泌尿器科医としての病院勤務の傍ら取り組んでいた在宅医療を取り上げた原稿が増えていった。

  <医者としてはショックなことですが、いわゆる延命治療をしない方が、より長く、静かな死を迎えられることが多いのです。(中略)『人としてプライドを持った最期を迎える』ための援助をする医療者でありたいと考えます>と書いた服部さんは、「24時間いつでも連絡を」と、患者らに携帯電話の番号を知らせていた。妻のみち子さん(50)は「多い時で週に3、4回、夜中に往診に出かけることもありました」と振り返る。

  他の医療機関からの紹介などで診療していた患者は、昨年には60人を超えた。肺がん末期の64歳の男性との交流を取り上げた回では、<ある夜、午前3時を過ぎたころ、携帯電話が鳴りました。(中略)正直言えば寝ていたかった。でも来て欲しい時に行けば、患者さんの信頼を得る絶好の機会と考え往診しました。顔を合わせただけで患者さんは落ち着きました。(中略)静かに息を引き取った時、あふれる涙をこらえることは出来ませんでした>と記している。

  服部さんががんと診断されたのは今月2月末。連載でも「疲れた」と訴えていたが、すでに病状は深刻だった。服部さんは3月下旬、野口さんに電話し、がんであることを告げて休載を申し出た後、自らの闘病をこれからの在宅医療に役立てるため、4月8日に自宅に戻った。自宅でも「生活レベルを保てるモルヒネの投与量は」などと、在宅医療のことが頭を離れなかったが、容態は急速に悪化、一週間後に亡くなった。

  服部さんは「善人のための医療講座」について、野口さんに「使命感に押されて書き続けた。機会を与えてくれて感謝している」と話していたという。みち子さんは「まとまった形にして、多くの方に読んでいただければ」と、出版元などを探している。
−がんに倒れた千葉・みはま病院副院長の遺稿 市民グループ会報に連載−