2006年3月5日 東京新聞 朝刊 |
「自宅で死にたい」かなえたい 在宅緩和ケア少ない受け皿 医師・NPOなど周知の取り組みも |
「がんを宣告され、人生の残りが、あとわずかだと知った時、どこで最期を迎えたいと思いますか」。大半のがん患者が医療機関で死亡する中、自宅で死を迎える「在宅緩和ケア」に関心が高まっている。患者の最後の望みをかなえるために奔走すう医師や、特定非営利活動法人(NPO法人)、「自宅で死にたい」と望む末期がん患者。それぞれの思いと県内の在宅緩和ケアの実情を探った。(平木 友見子)
自宅での最期を望む末期がん患者のため、「さくさべ坂通り診療所」(千葉市稲毛区)の大岩孝司医師は、5年前に開業。これまで約三百人の在宅診療を行い、希望通り自宅で死を看取ってきた。
1979年、病院での死者数が在宅と逆転。以来、家族による介護の負担、急変時の対応や症状緩和の不安などから、死の直前まで病院を利用する患者は、増加傾向をたどる。
しかし、大岩医師は「医療面は病院と全く同じ。むしろ態勢が整えば、十分な別れをした家族の心の安らぎにもなる」と、在宅緩和ケアの効果を説明する。同診療所では、医師や看護師が週四回、患者宅を訪問。疑問には二十四時間体制で電話で応対する。苦痛の緩和だけでなく、患者と家族の不安解消や自立を支援する診療方法は、注目を集めている。
二月に膵臓がんを告知、余命四ヶ月と診断された主婦(56)も、在宅緩和ケアを望む一人だ。「自分の最期ぐらい、自分で決めたい。病院は自分らしく生きられない。生活の質を落とさず、最期まで暮らしたい」と切実な願いを語る。
しかし、県内には在宅医療の受け皿機関は、まだ少ないのが現状。2003年の県の調査では、調査した医療機関約三千八百ヶ所のうち、末期がん患者の往診をしているのは約10%にとどまる。二十四時間体制で診療しているのは0.6%、緩和ケアも実施しているのは約0.4%。訪問看護ステーションでは、約四割が緊急時の訪問に対応しているだけだ。
県は在宅医療情報の窓口を県看護協会に委託。一昨年には「在宅緩和ケアガイドブック」を作成したが、主婦は知らなかった。「情報や窓口がどこにあるのか、分かりにくく、調べるのは難しい」と不満を漏らす。在宅医療が始められず、検査を受けた病院で外来診療を続けている。
「まだ患者に初歩的な情報も伝わっていないのが現状」。在宅ケア普及に取り組むNPO法人「千葉・在宅ケア市民ネットワークピュア」(千葉市稲毛区)の藤田敦子代表は認める。電話相談のほか、在宅医療を紹介するフォーラムを年二回開催しているが、認知度の低さを実感しているという。
在宅医療の関係者は「認知度の向上とチームケアが重要だ」と口を揃える。医師と看護師を中心にケアマネジャー、緊急時の支援病院、行政などが一体となったチームで、主役の患者と家族を支えるのが理想的な在宅ケアの姿。実現するには、社会全体の理解が必要だ。
少しずつ浸透しつつある在宅医療ケア。大岩医師は「死に対する意識が変われば、在宅緩和ケアの態勢も向上していく。死の選択肢の一つとして確立できれば」と願う。藤田代表は「患者が必死に回らなければ情報が集められないのは問題」と指摘し、情報を共有できるネットワークの構築を目指している。表:【在宅緩和ケア連絡先】
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2004年8月1日 千葉日報 朝刊 |
在宅緩和ケア普及を
わが家で人生全う 理解とシステム整備課題 千葉大で公開講座 |
がん患者らが住み慣れた家で自分らしく、人生の最後を迎えるため「在宅ホスピス(緩和)ケア」普及を目指すNPOピュア(藤田敦子代表)が三十一日、稲毛区の千葉大で公開講座を開催した。講師の田口昇医師は、医療施設の緩和ケア病床数が需要においつかない状況の中で、「可能であれば患者や家族にとって在宅が最もいい」とし、普及への課題に理解不足や医療機関と地域のネットワークづくりをはじめ、システム整備の必要性などを指摘した。
国内では年間、約三十万人ががんで死亡している。患者の90%は一般病院で死亡しており、自宅はわずか6%。医療機関の緩和ケア病棟は今年六月現在、全国で百三十二施設、二千五百七床しかない。
NPO法人「千葉・在宅ケア市民ネットワークピュア」=NPOピュア=は、がん・難病患者や高齢者、子ども、障害者を含めて在宅での生活を希望する人たちを支えるための活動や在宅ケアに関する調査研究などを展開している。
今春には、在宅ケアを受け入れている千葉市内の医療機関や介護施設などを紹介する「在宅ホスピスガイド」を作成。現在は千葉大の高齢化社会・環境情報センターと協働で毎週火曜日と金曜日に在宅ケア相談を実施している。
公開講座も同センターとの共催で、医療福祉関係者ら約八十人が参加した。前・賛育会病院緩和ケア科医長の田口医師は、緩和ケア病棟が需要に追いつかないうえ、末期がん患者を受け入れる病院が減っている現状を報告。
「患者のQOL(生活の日々の質)を高められる在宅ケアが最もいい」としながらも@患者と家族の在宅ホスピスケアに関する知識不足A医療側から見るとマンパワー不足B地域ネットワークが不備でケアの標準化も課題―を指摘し、私案として「患者家族支援センター」の設立を提案した。
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2004年5月20日 千葉日報 朝刊 (共同通信より発信 全国23箇所に掲載) |
在宅につなげる緩和医療 「自宅で最後を」願い実現
県がんセンターなど医師、看護師、市民が連携 |
がん患者の痛みを積極的に和らげる緩和医療が普及してきた。この中で、緩和(ホスピス)ケア病棟から在宅医療を目指す動きが出始めた。「住み慣れた自宅で暮らしながら、死んでいきたい。」末期がん患者が望んでも、家族への配慮などでかなわないこの願いを果たそうと、医師や看護師、市民の連携が生まれつつある。在宅緩和医療の可能性を探った。
自宅で療養を
千葉県がんセンター(千葉市中央区)に緩和医療センター(二十五ベッド)が昨年設立された。当初から「在宅医療の支援」を掲げた。「最高の医療場所は自宅」と担当医の渡辺敏部長。
日本は五十年前まで、90%近くが自宅で亡くなっていた。現在は病院での死亡が大半。死が病院に取り込まれた。特にがん患者は、自宅で亡くなる率が6%足らず。医療の進歩も重なって、病院崇拝は根深い。
千葉県がんセンターは緩和病棟を「在宅ホスピスの拠点」とする。緩和病棟への入院に際し「病状が落ち着いたら自宅療養を希望するか」と患者と家族にそれぞれ聞く。
痛みをコントロールして病状が安定すれば、自宅に帰る選択肢を示す。退院後はいつでも相談に応じ、必要なら再入院を受け入れると約束する。
開業医ら支える
この一年で約百七十人が入院、うち退院したのは26%。その三分の二は自宅で療養し、開業医や訪問看護師が支えた。
往診してくれる医師が見つからない場合は、同センターが外来で緩和医療を続けた。家族らがケアに疲れたときの一時的な再入院も受け入れた。
「在宅に戻る患者を増やしたいが、消化器がんでは進行が速く、すぐなくなる人が多い」と渡辺部長。最初は在宅緩和医療が無理と思っていた家族も、説明すれば納得する。自宅で亡くなった患者の家族からは「連れて帰ってよかった」と後であいさつされるという。
在宅支える往診
大岩孝司医師は「がんのホームドクター」と自任。千葉市稲毛区で「さくさべ坂通り診療所」を二年目に開業した。がん在宅緩和医療専門医だ。
看護師四人と、年中無休二十四時間態勢で患者の症状緩和と心のケアを目標に取り組んできた。二年間にがん末期患者は計百四十五人を往診。うち百七人は家族が自宅でみとるのを手助けした。
大岩医師は在宅緩和医療で「苦痛を自宅で和らげ、尊厳を保ちながら生きることを支援できる」と話す。「自宅でゆったりした方が痛みを和らげるのに効率的」として@生活の場での療養A症状緩和を実感B費用が安い―なども利点に挙げる。
家族らには「介護が大変」といった不安が多いが、患者や家族が自律的に対応できるように支える。適切にモルヒネやパッチ剤を使えば、在宅と病院で提供する緩和医療技術に差はないという。
「家に帰ろう」と呼び掛け、在宅医療を支える市民活動も盛んで、三月にはそのフォーラムが、大岩医師や渡辺部長らが参加して千葉大で開かれた。主催した民間非営利団体(NPO)ピュア(千葉県船橋市)の代表、藤田敦子さんは、「在宅緩和医療の地域ネットワークをつくりたい」と語った。
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2004年2月22日(日) 日本経済新聞 朝刊 |
みとった後の遺族支援 交流会や訪問ケア 介護に納得できたかがカギ |
介護で苦労した経験は、みとった後の家族の心理にも影響しがちだ。大切な人を失った喪失感や生活リズムの変化に加え、介護を巡る様々な葛藤(かっとう)から心に傷が残り、悲しみを乗り越えにくい場合もある。みとった後の家族を支援する取り組みも少しずつでは出始めている。
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(2002年12月8日 千葉日報 朝刊)藤田敦子代表がシンポジストとして参加
緑区の県千葉リハビリテーションセンター(北原宏センター長)は7日、市民公開講座を開いた。
特別講演や協賛団体による相談会、福祉機器の展示などが行われ、北原センター長らが出席したシンポジウムには、市民やセンター職員、患者ら約250人が参加。会場を埋め尽くした。
テーマは2003年4月から導入される、身体障害者福祉法における支援費制度について。従来は行政がサービスを提供する事業者・施設と直接契約を結び、利用することになる。自己決定の尊重、利用者本位のサービス提供を基本とし、市町村が支援費を支払う仕組み。
各シンポジストからは、現在、県内の障害者福祉関係者が抱える問題、支援費制度への期待と、サービスに支障を与えないための提言、センターが県内のリーダーとして果たすべき役割などが発表された。
北原センター長は「県のリハビリテーション医療の充実に、さらに尽力したい。先進的な医療、研究や専門職への技術指導などに全力を注ぎ、障害者が安心して暮らせる社会を実現したい」と決意を語った。
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