在宅ホスピスってなに?

「ホスピス」は、ラテン語の「もてなすhospitium」からきていて、延命治療中心の医療から、苦しんでいる「患者とともにある」という考えのもと、医学的な管理と全人的ケアを中心としたプログラムや理念を指し、ホスピスムーブメントとして一種の医療改革、社会運動として世界中に広がりました。

日本でも同じように運動が起こりましたが、1990年に「緩和ケア病棟入院料」ができ、一定の基準を満たせば、ホスピス・緩和ケア病棟として診療報酬を得ることができるようになり、「ホスピス=施設の名称=最期に入る場所」として一般に受け取られています。諸外国では、施設、在宅、デイケア、コンサルトチーム、そして遺族ケアなど多彩なプログラムがあります。

日本ホスピス緩和ケア協会(全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会改め)はホスピス・緩和ケアの基本的な考え方を「ホスピス・緩和ケアは、治癒不可能な疾患の終末期にある患者および家族のQOLの向上のために、さまざまな専門家が協力して作ったチームによって行われるケアを意味する。そのケアは、患者と家族が、可能な限り、人間らしく快適な生活を送れるように提供される」としています。ケアの要件は、次の5項目です。

@ 人が生きることを尊重し、誰にも例外なく訪れる『死への過程』に敬意をはらう。
A 死を早めることも死を遅らせることもしない。
B 痛みやその他の不快な身体症状を緩和する。
C 精神的・社会的な援助を行い、患者に死が訪れるまで、生きていることに意味を見いだせるようなケア(霊的ケア)を行う。
D 家族が困難を抱えて、それに対処しようとするとき、患者の療養中から死別したあとまで家族を支える。

このホスピス・緩和ケアの考え方に沿ったケアを在宅で行うことが在宅ホスピスケアと言われています。


在宅ホスピスケアとは、どういうものなのか?2004年3月14日に行いましたNPOピュア在宅ホスピスケアフォーラム「家に帰ろう!最期まで自分らしく生きたい、暮らしたい」より大岩孝司医師の講演録を一部お届けします。
(文責:藤田敦子)2005.2.25



NPOピュア在宅ホスピスケアフォーラム
「家に帰ろう!最期まで自分らしく生きたい、暮らしたい」


在宅ホスピス――生きることを支援 
               (演者:さくさべ坂通り診療所 大岩孝司)


緩和(ホスピス)ケアの意義

緩和ケア、いわゆる在宅ホスピスというと、多くの人は死ぬための準備、いわゆる「座して死を待つ」という言葉がありますが、死に向かって時間を刻んでいるのだと受け止める方が多いと思います。そして死は恐ろしいものと、絶望の淵に立たされることが多いのだと思います。これは実際にその通りだと思いますしそこに希望をもつのは大変難しいことのように思われます。しかし我々人間には必ず死が訪れます。つまり、死というのは予想外のことが起こるわけではないのです。ただいつそのことが起こるかがわからない、また事があまりに重大で日ごろあまり考えたり実感をすることが少ないために、多くの人がその場に遭遇して、自分自身を見失うということになるのだと思います。

しかし人は同時にたくましさも備えている。ほとんどの人が、このような危機的状況に対して、自分の力で乗り切る力を備えていると思います。私たちはこのような状況にある患者さんに対して、その人が持つ潜在的な力が十分に発揮できて、自分自身を失うことなく、あるいはがんと言われ、いろいろな治療を受けて見失った自分自身を取り戻して、その人本来の生き方・生活に目を向けることができるように、医療の面からお手伝いをできればと願って、日々の診療活動をしています。

本日は日ごろ考えていること、あるいは実践していることをご紹介して、在宅ホスピスの考え方や実際の景色の一端をご理解いただければと思います。 2年前から千葉市の作草部というところで、がんの終末期の在宅緩和医療をする診療所を立ち上げ、看護師と一緒の訪問チームをつくって、訪問をしております。24時間365日のサポート、といったことをうたっています。
 

在宅緩和ケアのよさ

自宅で療養することの良さというのは、どこにあるかということです。まず何といっても普段生活をしている場での療養ということです。何が生活かということは人によって違うと思いますが、本来その人が今まで積み重ねてきた時間・刻んできた時間の本拠地である場――自分の家での療養であるということになります。例えばこんな患者さんがいます。その患者さんの家に伺うと、足の踏み場もないくらい雑然としていて湿っぽくて、非常に狭いところに寝ていました。そのベッドの傍らにテレビがついていて、奥さんがみていました。その患者さんは病院がいやで退院してそこに帰ってきたわけです。喀血をしている患者さんでした。私が伺って、いろいろな話をする中で、「とにかく家がいいんだよ」と言っていました。「血が出ているようだけど、いっぱい出てきたらどうする?そういう時は病院に行きますか?」と聞いたところ、「絶対行かない、ここがいい」と。その人にとっては、どんなに立派な病院で療養するよりも、自分の家で療養する方が、心が安らぐということだと思います。
 
次に症状緩和の効果が実感できるということについて例をあげて述べてみます。痛くて歩けないという患者さんが痛み止めを飲んだら、痛みが軽くなって歩けるようになった。その時に病院ですと、すぐに痛みが軽くなったからそれを生かした行動がなかなかとりづらいのです。ほとんどの場合、ベッドのある病室の一角でしか動けません。しかし家にいると、痛みがとれて歩けるようになったから、ちょっと近所に買い物に行ってこようとか、庭に出て庭の手入れをしようとか、具体的な行動で症状緩和の効果を実感できます。病院から家へ帰るといろいろな症状が軽くなる人がほとんどです。ところが多くの人は、家へ帰って痛みが強くなったり、苦しさが強くなったらどうしよう、家ではできないと思われるのです。しかし実際は今申し上げたように家にいるほうが全体としての苦痛の症状が軽くなる人の方が多いのです。

それから医療スタッフに対する気遣いが和らぐということの説明をします。我々が患者さんのお宅に伺う時には、ノックをして家の中に入っていきます。それから患者さんがいる部屋に行きますが、どこで診察をするかを決めるのは患者さんです。上座と下座のようなことで言えば、我々が下座で対応しますから、患者さんの気持ちが非常にゆったりします。自分の思いを十分表現できます。ですから実際にいろいろな対応が我々としても適切にできますし、患者さんとしても診療の内容に満足することが多くなります。

家族の負担については、いろいろな問題があります。実は負担として一番大変なのは、患者さんが病気の進行をすることで痩せたり、体力が落ちたり、死が近づいてくることを24時間、家族としてそばで見ていなければならない。そのことが一番大変なわけです。ですから私たちが訪問をする時に、患者さんに対して最大限のエネルギーを注ぐのはもちろんですが、いつも申し上げるのは、「病院の場合は患者さん100%です。しかし申し訳ないのですが家では患者さん半分、それからご家族半分です」という話をします。それで家族といろいろ話をして、患者さんのいろいろな状態に対応できるようにやりとりをしていきます。家族は患者さんを家でみていて何が不安かというと、起こっていることがわからなかったり、起こっていることに対応できないと不安なわけです。でも起こっていることがこういうことだ、こういうことが起こったらこうすればいいとわかっていれば、あまり不安でなく対応できます。ですから我々が伺った時に、帰った後のご家族だけの20何時間を家族と患者さんが対応できるように、相談をしていきます。

それからもうひとつ自律支援という言葉の意味を誤解をされないように申し上げておきたいのは、自分で出来ないことは人にやってもらうことを了解してもらうということもその中に含まれます。自分で出来ない事をきちんと見極めてそれを手伝ってもらうということを受け入れることはまさに自律なのです。


生きること、生活することを支援

がんというのは痛いものだ、苦しいものだ、最期は七転八倒の苦しみをするものだという思いを持っている患者や家族が非常に多いです。「そんなことはないよ。絶対に七転八倒の苦しみはないよ」というと、ふっと安心して肩の荷を降ろす表情がはっきりと見て取れます。そういうひとつひとつを、「死の準備」と私は言っています。ですから決して死の援助ではなくて、毎日の時間をより充実して過ごすことが出来る、そういう積み重ねをすることの延長に死がある、と考えています。

在宅緩和ケアというのは、医者ひとりによってではなくて、看護師などとのチーム医療によって相互的なケアを行うものです。死と向き合う厳しい状況の中で、自身を見失わないように支援をするということが、大切なことだと思っています。決して受け身の医療ではなく、一緒になって作りあげていくものと考えています。

症状緩和の考え方ですけれども、これには二つの面があると思っています。第一は、痛い苦しいという辛い症状をとるための薬をどう使うか、どういう治療をするかということです。同時に、痛い・苦しいを患者さんがどう受け止めるかという問題があります。第二はその受け止める力を増やすということで、このことはとても大切だと思っています。それは、「心のケア」ということにつながります。

自宅での疼痛治療についてもう少しふれますと、痛み止めの治療の主流は、内服と坐薬と貼付剤(貼り薬)です。それと麻薬注射製剤もあります。これらの薬は院外処方箋を発行することで薬局から出すことが可能ですので、病院と在宅とで提供する医療技術の差はないといえます。家にいることによる気持ちのゆとりがプラスに作用しますので、家での疼痛緩和は、病院での疼痛緩和よりもかなり効率がいいと、はっきりと言えると思います。私はモルヒネを使う患者さんには、普通1時間くらいモルヒネが安全で優れた薬だということをお話して、使うようにしています。

「心のケア」ということに関してですが、精神科医でない我々が出来る心のケアというのは何かということ。これは、事実を正確に伝えるやり取りをするということです。このとき大切な事は、はっきりした事と不明確な事を分けるということです。例えばがんが進んだとか、治らないということもはっきり言えます。ところが、「後何か月です」ということは誰もわかりません。そういう誰も解らないことを、「後三ヶ月ですよ」という風に区切ることは、非常に患者さんの負担になります。そういう振り分けをきちっとするということです。もう1つは、痛い苦しいということと、がんの進行の程度とは必ずしも平行しません。別ですよ、区別しましょう、ということをはっきり伝えるということが大切になります。また、症状緩和の方法の選択及び、その結果の評価をするのは患者さんですから、どういう方法を取りましょうかという相談を一緒にします。こういうことが、私は心のケアに繋がると思います。判断できる材料をきちんと提供し、患者さんの方もそういうことを受け止めて、ご自分でご自分のことを考えるようにすることが非常に大事だと、そしてその際の不安を少しでも少なくするお手伝いをしたいという風に考えています。

在宅緩和ケアが療養形態のひとつの選択肢になることを、今強く願っているところです。これには、医療側の理解と、それから市民・患者さん側の意識――自分のことを自分で考えるという意識、その両方が噛み合っていくことが必要だと思います。正にピュアの活躍に今後一層の期待をしたいと思っています。

最後に、がんという病気になって、残りの時間が非常に少なくなった患者さんは死を強く認識するようになることで、今までとは違う人生が始まるのだと思います。この大切な時間を過ごすために、少しでもお手伝いが出来ればと考えています。

                             (2004年3月14日)