藤田敦子
今日も一日がんばるぞ〜

家族ががんになって、ずっと家で過ごさせてあげたいとがんばったけど、どこに家で診てくれる医師がいるのかわからなかった。悩み、苦しみ、同じ思いをしている患者と家族をサポートする会を作りたいと、ただそれができたらいいなと、「ピュア」を作ったけど、誰も歩んだことのない道、レールもない、見本もない、道が続いているのかもわからない。でもいいんだ、この道を切り開いていこう、きっと、きっと道は作られていくから、どんな荒地だって、どんな困難だって、自分の信じる道を生きていこう。よ〜し、今日も一日がんばるぞー!

  2007年8月14日以降は、NPO法人ピュア公式ブログへどうぞ

2007年8月14日(火)
都道府県のがん対策  格差が広がる不安 
 がん患者ネットMLに、がん患者として参議院に当選した山本たかし議員より、都道府県のがん対策について報告がありました。それによると、『厚労省がん対策推進室は、各都道府県を対象に、(1)国レベルと同様に、がん患者等の代表が参加した協議会を設置するのか、(2)がん対策に関する条例や計画の有無、(3)都道府県計画の策定時期(いつ頃から始めて、いつ頃に策定するのか)などについて、アンケート調査を行ないました』とのこと。翌日、がん対策情報センターのホームページに出ていたのを見て、驚きました。ほとんどの県でまだ計画策定に入っていません。47都道府県のうち、協議会等のメンバーに患者委員(患者や家族・遺族)を入れているのは、14都道府県。岩手県1名、宮城県2名、茨城県2名、群馬県2名、千葉県3名、東京都3名、富山県1名、三重県1名、大阪府2名、兵庫県2名、奈良県1名、鳥取県2名、広島県2名、高知県3名となっています。それぞれ全メンバー数が違うので、比較はできませんが、千葉県は、おお、3名☆☆☆、よかったです!
  *都道府県がん対策推進計画の策定状況について(平成19年7月26日現在)
   http://ganjoho.ncc.go.jp/public/news/2007/20070809.html
  *また、「がんナビReport」でも、埴岡健一さんの取材で、都道府県の動きが紹介されている。
   http://cancernavi.nikkeibp.co.jp/report/

 各地の動きとしては、島根ではがん患者サロンが二次医療圏ごとに出来てネットワークを組んでいます。大阪では、11の患者会が「大阪がん医療の向上をめざす会」を作って、協議会対策などを話し合っています。群馬でも11団体が結束して「群馬県がん患者団体連絡協議会」(会長はあけぼの会群馬県支部)が発足したようです。都道府県ごとに患者会がまとまっていく形は、今後の主流かもしれませんね。

 千葉では、すでに4回の会議をしていますし、小委員会も開催しています。患者委員は、患者2名と私で、意見をたくさん提出しています。私は最初に、12P。小委員会では、5P。出来上がってきた骨子イメージ案に2Pの提出をしました。今後、骨子案を素案にまとめます。9月の予算をにらんで、後、少しです・・。
もちろん、タウンミーティングやパブリックコメント募集もやります。千葉県も他県と同じく財源はありません。その中で何ができるのか、本当に苦しいところです。でも、会議の意義は、それだけではありません。実際に臨床の現場でがんばっている医療者・福祉関係者に患者側の生の声を届け、お互いの創意工夫で変えていけることはあると私は思っています。ここで変えていかないと、何のためにがんばったのか、わからなくなりますね。他県と同じく、千葉県がん患者団体のネットワークを作るのもいいですね。
 変えていくといえば、来年の「日本ホスピス・在宅ケア研究会の千葉大会」のプログラム作りに、がんばっています!別に変えていくのは、行政主導でなくてもいいわけで、NPOとして、できることを少しずつやっていきます。全国の皆様、来年7月に千葉へ来て下さいね。ディズニーランドも混む前で〜す(笑)。


2007年8月7日(火)
ピュア共同創設者 服部義博さんを偲ぶ  毎日新聞千葉2002.12.17の記事より 
 街の色 人の詩 4 服部さんの"遺産"・・・・医療を地域で 在宅ケア市民ネット

 「人としてプライドを持った最期を迎えるための援助をする医者でありたい」――。
NPO法人「千葉・在宅ケア市民ネットワーク ピュア」代表、藤田敦子さんは、今でもこの言葉をよく思い出す。 千葉市美浜区の病院に泌尿器科医として勤めながら、末期がんや泌尿器系患者の在宅医療に力を注いだ服部義博さんが生前、自らに課した医師としての生き方そのものだ。
 服部さんは10年ほど前、一人の勤務医から"脱皮"した。家族に担がれるように外来に訪れた老人の姿を目にした 時、「自分が患者宅に行ったほうが自然ではないか」との思いが胸を駆け抜けた。以来、病院勤務を続けながら、 在宅医療にも仕事の幅を広げた。
 病は時を選ばない。夜中でも、出勤前の慌ただしい朝も、携帯電話が鳴れば、患者宅に向かう。激務の中で、服部 さんはがんに侵された。痛み止めを打ちながら仕事を続けたが、昨年4月、力尽きた。52歳だった。
 服部さんの生き様は"遺産"を残した。生前、服部さんは藤田さんらと共に、患者と病院、主治医、福祉機関などで ネットワークを作り、医療を地域ぐるみで取り組む「ピュア」の設立準備に取り組んでいた。服部さんの死後、藤田さんらが踏ん張り、昨年8月、設立にこぎつけた。
 「在宅医療に長年取り組んだ服部さんの努力を無駄にしたくない」と藤田さんは言う。「在宅を希望する患者や 家族のために、医療と福祉事業の橋渡しをしていきます」
 今年4月、服部さんのエッセー集「善人のための医療講座」(うらべ書房発行、1143円・税別)が出版された。 服部さんが「千葉をおもしろくする会」の機関紙「ねばぎば」に寄稿したエッセーを集めたものだ。
 患者が親族と20年以上も音信不通だと知り、親族を探し出して患者を搬送し会わせようとしたこと。大好きな ロッテマリンーズの追っかけ旅行先の福岡で痛みに耐えられず救急車に乗ったこと――。軽妙なタッチで、生と死 に向き合う日常の出来事がつづられ、服部さんの患者への思い、在宅医療にかける熱意がにじみ出る。
 「こんな先生がいたんだ」という驚き。そして「こういう先生なら病を癒やしてくれるだろう」と勇気付けられる。
                                       【渡辺洋子】

ピュアを作ろうと一緒に会則などを作っていた最中に、以前からの痛みの原因(がん)が発見され、わずか2ヶ月でかの地へ旅立っていかれましたね。服部さんが『在宅医療専門の診療所を作りたい』と夢を語り、訪問看護師さんの勧誘を熱心にされていた頃でした。私もコーディネーターとして、夢の一員になるはずでした。あの頃は介護保険が始まり、熱心な先生方に訪問診療が集中していましたね。今、生きておられたら、何を思い、どんな行動を起こされていたかと、残された者たちは残念な気持ちでいっぱいです。私には小さなことしかできないけれど、在宅の灯りを消さぬように、一生懸命がんばりますから、どうか見守って下さい。


2007年8月3日(金)
ホスピス全国大会を開く  「その人らしさ」へ奔走へ  
 29日は在宅ホスピス緩和ケア公開講座の日と、選挙があり、2つのドキドキ体験がありました。公開講座は、7月になり2週間で100名を突破し、朝日新聞のインタビューは受けたけど、満席では掲載が難しいといわれ、急遽、千葉大学の広井良典教授にお願いをして、400名も入る教室に変更しました。当日は、事前申込みの200名からは減ったけど、会場は一番上の段まで埋まり、また小澤竹俊さんのすばらしい講演に、熱気と感動の一日でした。そして、夜は、選挙速報に食い入るように見て、最後の最後に比例で山本たかし議員が入ったことに安堵しています。まだまだ、県の施策が進んでいるわけでなく、国会からの監視がないとどうしようもないことがたくさんあるからです。ここはとっても大事なことです。意見を言っても、それを審議として取り上げてもらえなければ、意見が通っていかないことを、もっと理解しなくてはいけませんね。

そして、来年7月の日本ホスピス・在宅ケア研究会千葉大会は幸先のいいスタートを切りました。去年、リレーフォーライフのスタッフをやったMOMOさんに会ったことがあります。「一人暮らしだから、在宅は無理かな?」と質問を受けて、「医師や訪問看護を入れれば大丈夫」とお答えしたのですが、ひょんなことから千葉大学卒のシンガーソングライター松尾貴臣さんのサードアルバム「きみに読む物語」が、彼女の話を松尾さんが聞いたことからできた詩だと知りました。彼女の生き方に共感し、『大事なことはなんなのか』それを若い感性で歌い上げています。MOMOさんのブログに入ったら、病院から家に戻ったこと。やっぱり家はいいなと感想を書いてあること。そして病院が医師や訪問看護を整えて、在宅緩和ケアを届けていることを知りました。最後は病院(緩和ケア病棟)だったけど、「やったね!」と嬉しくなりました。ピュアは家で死ぬことを目的にしていません。最後の最後まで、その人が自分の人生を自分らしく生きること―それを支える緩和ケアであってほしいのです。そして、その詩を千葉大会のイメージソングにしました。MOMOさんのように多くの仲間の支えがあれば自分らしく生きられる、ブログができない世代でもみんなの輪ができれば、それが可能になる。そんな地域を作っていきたい。8月2日には、朝日新聞千葉版「ひと」で「ホスピス全国大会を開く藤田敦子さん。その人らしくへ奔走」と紹介されました。来年の千葉大会、皆様、一緒にがんばりましょう!


2007年7月31日(火)
在宅緩和ケア公開講座開催 29日千葉大で   朝日新聞千葉 2007.7.16
  ガン患者などが住み慣れた地域や自宅で、痛みを軽減しながら生活する在宅緩和ケアへの理解を深めてもらおうと、NPO法人千葉・在宅ケア市民ネットワークピュアは29日、千葉大学(千葉市稲毛区)で公開講座を開く。
 ピュアは毎週火曜日と金曜日に、在宅ケアを始めようとしている人から、電話相談を受け付けている。藤田敦子代表(49)=船橋市=は、夫や父親をみとった経験から、「生と死が常にそばにある病院に比べて、普通の生活の中で、家族とも落ち着いて向き合う時間ができる」と話す。
 本格的に活動を始めて5年が過ぎ、ようやく浸透してきたと感じる。その一方で、2月に開かれたフォーラムでは、「どんな医療が受けられるか」「相談できる場所はどこか」といった疑問が寄せられた。藤田代表は「病院が在宅ケアの情報を伝える場になっていないケースが多い。病院との連携はまだまだ」と言う。
 当日は、めぐみ在宅クリニック(横浜市)の小沢竹俊院長や県がんセンターの渡辺敏・緩和医療科部長が講演を行う。
 参加費無料で定員100人(先着)。氏名、参加人数、住所、電話番号を明記して、ファクスまたはメールに申し込む。

2007年6月15日(金)
がん対策推進基本計画が閣議決定される
 ずっとご無沙汰をしていました。すみません。父の死後、四十九日の準備やら思った以上に大変でした。1週間に2日間を使って、役所や年金、口座の変更などをしたのですが、本当に大変でした。フォーラムの後にちゃんと休んでいなかったせいか、体調も悪く、その中で、がん対策の行方も見届けに、厚生労働省へも足を運んでいました。科研費報告書の作成、年度末の報告書作成、それに今度の日本ホスピス・在宅ケア研究会高山大会の準備と来年の千葉大会の計画策定と、どうしてこんなにあるのかと思うほどです。
 いろいろなことは、またゆっくりと書くとして、本日、がん対策基本計画が無事閣議され決定いたしました。オメデトー!協議会も何回も開かれて、その間に、国会がん患者と家族の会に呼ばれて、議員と厚生労働省の担当者と話し合いを2度開催しました。数値目標が盛り込めませんでしたが、今までに無い進歩だと思います。ここまでいくには、参議院の山本たかし議員の業績が大きかったと感じています。山本さん、ありがとう。
 さて次は県の計画ですね。地方の皆さん、出番ですよ、みんなの手でいいものにしていきましょう。

2007年3月20日(火)
第5回がん対策の推進に関する意見交換会 提言まとめる
 患者団体学会、それに広く国民からも意見を募集して行われた意見交換会もついに最終となり、がん対策の推進に関する「提言」が昨日の会議にて公表されました。各委員より意見が出たものを修正し、正式に「提言」となり、協議会へ引き継がれます。HPにて公表される前に、緩和ケアのくだりを少し書き入れます。意見交換会で私が提出した内容もご覧くださいね。

【緩和ケアについては、治療初期の段階から充実させ、診断、治療、在宅医療など、様々な場面において切れ目なく実施されるべきである。そのためには、拠点病院を中心として、緩和ケアチームやホスピス・緩和ケア病棟、在宅療養支援診療所等による地域連携が必要である。その際には、一般病棟や在宅医療との間に垣根を作らないホスピス・緩和ケア病棟や、在宅における緩和ケアの在り方について検討していく必要があり、緩和ケア病棟には、一般病棟や在宅では対応困難な症状緩和、在宅療養の支援及び終末期のケア等の機能をバランスよく持つことが期待される。また、在宅においても適切な緩和ケアを受けることができるように専門的な緩和ケアを提供できる外来を拠点病院等に設置していく必要がある】

 続きは後日の公開をお楽しみに。【在宅医療】もたくさん書いてありました。でもね、本当はこれから・・。言う、書くはできるけど、実施がね・・・、出来る人が少ないの日本では(*_*)


2007年3月6日(火)
最後は家でかなう町に がん患者 千葉でフォーラム 毎日新聞千葉2007.2.19
 「がんでも最期を家で過ごせるまちづくり」を考えようと、「在宅がん緩和ケアフォーラム」(県、NPO法人「ピュア」主催)が18日、千葉市内で開かれた。基調講演では、ホスピスについての著書がある評論家の米沢慧さんが「この町にホスピスをではなく、千葉がホスピスだ、というかかわり方をしていくことが大切」と強調し、自宅療養するがん患者を、医師、訪問看護師、地域のボランティアなどが連携して支える仕組みが必要だとの考えを示した。
 パネルディスカッションでは、国立がんセンター東病院緩和医療科(柏市)の木下寛也医師が、1月から緩和医療科外来を毎日行い、身体的・精神的苦痛がある患者については、医学的判断でホスピスに入院させるように変更したことなどを説明したうえで、「地域のがん患者のために病院が何ができるかが課題だ」と強調した。
 がん患者を訪問診療している「さくさべ坂通り診療所」(千葉市)の大岩孝司院長は「患者さんが居たい場所で、そばに居てほしい人の所で療養することが一番いい。現状では、患者さんがそうした場を得られず、選択肢の幅が狭い」と指摘。
 がんの夫を自宅で看取った九冨真理子さんは「がん患者が自宅で過ごす際、入院先の病院と在宅療養をサポートしてくれる医療機関との連携が不十分だった」と自らの経験を振り返った。
 一方、会場の女性がん患者からは「相談できるコールセンターの充実を図ってほしい。疼痛(とうつう)が取れず、『死にたいな』と思う日々もあった。疼痛は早い時期に取ってほしい」などの要望が出た。【南恵太 

毎日新聞からは、2月22日(木)にも、私が電話相談をしている写真付きで、ホスピス電話相談が紹介された(医者選びを支えて)。当日行ったアンケートでも、相談窓口が知りたいという要望が多く寄せられた。大切なことは、電話をしてきた方の現在の痛みや苦しみを受け止められながら、何が一番いいのかを一緒に考えていくことだ。ピュアと千葉県が行った在宅の資源調査(千葉県在宅緩和ケアガイドブック)の中身を伝えるだけでは、何も伝えられないし、数も十分そろっているわけでない。活動を通して知り合った医師やインターネットを酷使して情報を探しながら、お答えをしている。もちろん、治療の場についても、ピュアのがん情報リンク集を紹介してお話をしている。緩和ケアは死ぬための医療ではない。今を生きる為の医療なのだから。


2007年2月27日(火)
家での穏やかな最期 愛する家族を家で看取って
 2月18日にフォーラムは、私にとって、忘れられないフォーラムになりました。2年前に再発転移がわかり、それからずっと、実家へ行く日々が続いていました。いくつもの病院での治療、その都度、付き添いながら、たくさん話をしてきました。昨年1月に治療はできないと告げられ、でも、骨転移への放射線治療など緩和ケアとしての治療はしてきましたね。その間に、祖母の法要で田舎へ行き、住職とお墓の相談をしたり、、金婚式を盛大にしたり、友人や親戚にちゃんと「葬式のときは頼む」と言ってましたね。私たちにも、今後についてや死亡連絡をする相手などの話をし、「延命処置をしない」と医師にも話してましたね。2月になり、親戚への形見分けも無事終わり、その後、急激に悪くなった気がします。でも、フォーラムが終わらないと私に迷惑がかかると、ケア者も含めて、皆でがんばってくれましたね。朝・昼と食事をし、訪問看護が入り、移動をしようとした時に呼吸が弱くなっていることがわかり、医師の臨時往診を受け、その後2時間過ぎに本当に穏やかな寝顔のままで、天寿を全うして逝きました。葬式に来た人達も、みんなあなたの寝顔を見て、びっくりしています。「こんな穏やかな顔で死ぬことができるのなら・・」と。家のもつ安心感、そしてあなたの前向きに生きようとする姿を私は忘れません。痛みも苦しみもなく穏やかな死がどれほど残された家族にとって、安らぎを与えてくれることか。ありがとう!最高の宝物をもらいました。たくさんお話をして、たくさん一緒にいましたね。お父さん、私は幸せです。


2007年2月13日(月)
がんでも最期を自宅で 動向や現状を紹介 18日千葉でフォーラム 朝日新聞千葉2007.2.10
 がんでも最期を自宅で過ごせる地域作りを考えようと、「在宅がん緩和ケアフォーラム」が18日、千葉市文化センターで開かれる。NPO法人千葉・在宅ケア市民ネットワークピュア(藤田敦子代表)と県が共催し、最近の動向や県内の現状を講演とパネルディスカッションで紹介する。
 フォーラムでは、評論家の米沢慧氏が「新ホスピス宣言」と題して講演した後、渡辺敏・県がんセンター緩和医療科部長を司会に、実際に在宅緩和ケアに取り組んでいる国立がんセンター東病院の医師、千葉市稲毛区の診療所院長、看護師、患者家族らが、県内の実践例や課題を話し合う。
 がん患者の療養生活の質の向上などを盛り込んだがん対策基本法が4月から施行される。が、まだ在宅ケアを支えるコーディネーターや医療機関の連携は十分とはいえず、患者家族が自力で医師や看護師などを探し歩く状況にある。01年から地域ネットワークづくりやボランティア育成を進めてきた「ピュア」の藤田代表は「県内の実践例を知り、こういう味方がいるなら自分も在宅療養ができると希望を持ってもらいたい」と話している。
 18日午後1時から、無料。申し込みは県疾病対策課「在宅がん緩和ケアフォーラム係」へ

他にも、読売新聞、東京新聞などで講演案内が出ています。患者や家族が決意のもと、最期を迎えるために家に帰るのではなくて、家で自分らしく生きていくために、家族や友人と向き合いながら良い時を過ごすために、地域の仲間と共に「緩和ケア」が提供されることを望みます。


2007年2月2日(金)
WEB版がんよろず相談Q&Aと緩和ケア最前線
静岡県がんセンターは、相談支援の中で、全国の先端を行っていますが、このたび、よろず相談「WEB版がんよろず相談Q&A」が公開されました。先日、使い方などを患者会を集めて行いましたが、いつできるのか私も待ち望んでいました。双方向を可能にした作りになっていて、患者が参加することで、次の患者の役に立つようにできています。皆様、ぜひご利用くださいませ。

がん対策基本法が成立し、地域、病院格差の解消が問題になっています。私は、緩和ケアの疼痛技術も、すべての医師に習得してほしいです。もし勉強不足の医師ならば、他の医師に応援を頼むくらいの気持ちになってほしい。痛みで苦しむ患者を助けることは、医師の務めだと思います。
そんな緩和ケアの理解をすすめるために、緩和ケア最前線の模様がテレビ放映される予定です。
2月10日土曜日 午後11時半〜零時40分、教育テレビ、土曜フォーラム
 「我慢しないで がんの苦痛 〜緩和ケア最前線〜」
   ■ パネリスト5名  
     国立がんセンター中央病院病院長 土屋了介さん
     癌研有明病院緩和ケア科部長 向山雄人さん
     大阪大学大学院教授 恒藤暁さん
     聖路加国際病院がん看護専門看護師 中村めぐみさん
     かとう内科並木通り診療所 加藤恒夫さん  
   ■司会 元NHKアナウンサー 好本恵  
   ■会場リポーター きょうの健康キャスター 久田直子
   ■会場にいる患者や家族等とパネリストの質疑応答あり
収録に私も参加しています(^o^) 。絵図を使ってわかりやすい内容でした。必見です!


2007年1月23日(火)
がん対策情報センターと緩和ケア
国立がんセンターがん対策情報センターを知っていますか?国のがん対策への要望の患者への情報提供と相談支援の充実のために作られました。現在全国のがん診療連携拠点病院に相談支援センターが作られています。私は、情報センターを充実させるためのワーキンググループ一員になっています。1月13日は「正しいがん情報の提供とその利用供」が全国で開催され、そして全国に先駆けて1月14日に千葉県がんセンターで「がん情報サービスに向けての地域懇話会」が開催されました(1月14日開催概要)。千葉県がんセンターには、緩和医療センターがあり、緩和ケア病棟届出をやめ、緩和ケアチームが症状マネジメントから看取りまでを支援しています。1月21日はヘルス財団の研修会に参加をして、広島県の緩和ケア支援センターの取り組みを阿部まゆみ氏から聞けました。情報提供、総合相談、専門研修、地域連携支援(デイホスピス、アドバイス派遣)があり、この取り組みを千葉県へと思っています。2月18日のフォーラムでは、国立柏の取り組みや千葉県がんセンターなど、緩和ケアの最先端の話になります。最期の最期に死ぬために入る場所でなくて、生き抜くための大切なものとして、「緩和ケア」が育っていくように、千葉から発信していきます!

東京大学・第10回本郷緩和ケア研究会から、1月31日のお知らせです。

18:00〜 開会の辞  東京大学医学部附属病院 麻酔科・痛みセンター教授 山田 芳嗣 先生
18:05〜18:45   討論・対談 「がんと日本人」
      諏訪中央病院 名誉院長 鎌田 實 先生
      東京大学医学部附属病院 緩和ケア診療部 部長 中川 恵一 先生
18:45-19:00 「緩和ケアに利用できる神経ブロック」
      東京大学医学部附属病院 麻酔科・痛みセンター 助手 斉藤 勇一郎 先生
19:00-19:15 「東京大学医学部附属病院における緩和ケアチームの活動報告」
      東京大学医学部附属病院 緩和ケア診療部 副部長 岩瀬 哲 先生
19:15-20:00 特別講演 「言葉の向こう側にある患者の心を探す」
      諏訪中央病院 名誉院長 鎌田 實 先生

申し込み方法は、以下です。
第10回本郷緩和ケア研究会 1月31日午後5時30分、東京・本郷の東京大学鉄 門記念講堂(医学部教育研究棟14階)。諏訪中央病院鎌田實名誉院長、東大 病院緩和ケア診療部長の中川恵一氏らが、日本の緩和ケアについて、講演、討 論。無料。氏名、人数、連絡先(FAX番号)を明記して、ファックス (03-5800-8786)で申し込む。(無料)先着200名まで。


2007年1月12日(火)
大変な幕開けになりました。今年もよろしくお願いします
新年あけましておめでとうございます!

昨年の日記に、実家で介護をしてきますと書きましたが、介護でなく看護になってしまいました。元旦は、車イスでひさびさに居間でおせち料理とお屠蘇、それに雑煮を食べて、家族団らんのひと時を持ちました。翌日、訪問看護のしている一連の流れを終えて、私は外出をしました。その後に父に異変が起こり、昼・夜と食事はせず、23時半から吐き始め、3時半、6時と1リットル近く吐いてしまいました。とっても悩んだけど、9月に起こした時と同じ腸閉塞の兆候があり、正月で緊急で訪問診療や訪問看護に連絡しても来てもらえる確率は低いし、4日・5日に来ても、その後6日から8日まで在宅ケアチームの休みは続くし、脱水症状や呼吸困難(HOTが吐いて使えない)も予想されるので、救急車で病院へ行くことにしました。そんなわけで、大変な正月でした。夜の当番もしっかりとベッドの隣で寝ました。食べすぎをさせたと非難をされるかもしれませんが、年に一回の正月だから、好きなように食べてもらいました。「あ〜あ、おいしかった」その一言で、私は満足です。でも、本人は自分でも排便管理をしっかりとやったつもりでしたので、今後どうしたらいいのか、混乱をしています。病気をすることは、一つずつ失っていくことで、一番本人が辛く、そして元気な姿を知っている家族も本当に辛いです。これからが正念場になりそうです。


2006年12月29日(金)
謹賀新年!2007年もよろしくお願いします
12月13日から始めて2週間もご無沙汰をしてしまいました。プログを書かれている方に脱帽です。

フォーラム準備の合間に、17日は千葉県立東金病院で平井愛山院長と一緒に講演をしました。なんと、在宅緩和ケアを進めるのに大切なモルヒネ等を扱える調剤薬局が山武地域には4つもあるそうです(わかしお医療ネットワーク)。これはすごいことです。18日はさすがに連日の多忙でお疲れ状態でしたので、ひさびさに鍼灸治療をしてきました。ボロボロになる一歩手前でいつも駆け込んでいますが、「来年はもう少し二歩手前にして」と言われたので、気をつけようと思います。身体が資本ですからね。19日は2008年7月の日本ホスピス・在宅ケア研究会千葉大会実行委員会。事務局などを決め、次年度早々に基調講演者などを決めていきます。20日は厚生労働省の「がん対策の推進に関する意見交換会」学会等のヒヤリングを傍聴しました。学会の方は医師なので、踏み込んだデータが出てこなかったですね、これは残念でした。22日はNHK『我慢しないで がんの苦痛』の公開講座(2月放映予定)の収録に参加。何故、藤田がこの活動を始めたか、「痛みを取ってほしい」という思いを伝えました。23日、24日は実家の在宅緩和ケアへ参入。在宅酸素療法を始めたせいか「俺はもうだめだな」と弱気発言があり、来年は中距離介護を本格的に再開することにしました。実家からの通勤も覚悟しなくてはいけませんね。私ができることは、思いを受け止めること、そしてケア従事者とのコーディネーター役です。後は夜の当番かな・・。26日は今年最後の情報誌発送作業。

27日は厚生労働省「がん診療連携拠点病院指定のための検討会」の傍聴。その前に神社へ行き、お札を購入し、再度実家へ。ちょうど訪問看護が入っていて、「先週在宅酸素はいやだと言われ、気持ちが落ち込んでいたが、今日は顔色がいい」と言われました。新しい機器の導入は、病気の悪化や死を連想させる。ちょっとした疑問をいつも患者は持っていて、それを解いてあげることが大切なのに、なかなかそれができる場所や機関がありませんね。声を聴き、声を受け止め、問題を解決することが必要だといつも思っています。そして今日29日、千葉大学でこれを書いて、家の片付け、そして正月は実家で過ごすことにします。大切な時間、二度とない大切な機会を無駄にしたくない、一言一言を心に刻んでこようと思っています。

今年は夢のような一年でした。来年は事務所兼サロンを千葉駅周辺に作れたらいいなと思っています。お金が必要だし、どうなるかわからないけど、夢は実現するためにあるものだから、みんなと知恵を出し合い、実現に向けてがんばります!2007年もよろしくお願い致します(^o^)。


2006年12月13日(水)
厚生労働省がん対策に関する意見交換会 患者会ヒヤリング
NPOピュア代表の藤田敦子です。会員の方から、ピュアや私の活動をもっと知りたいと希望が出て、こんな日記を作ってみました。毎日はむずかしいかもしれないけれど、なるべく出来事を書き入れて、元気、元気を皆様にお伝えできたらいいですね。それに、緩和ケアや在宅のことも、もっと知ってもらえるように、ニュースなども入れていきます。

がん対策基本法を作るその重大な場面に、自分がかかわるなんて思ってもみなかった。与党はあんまり緩和ケアを望んでいなかったから(富山の事件があった)、がん医療の中に「緩和ケア」を入れることができなくて、「化学療法や放射線療法など今まで力を入れられなかったものに重点をおいた」との説明に、猛然と「では、緩和ケアは十分なんですか!痛みで苦しむ患者はいないのですか!」と野党の質問のように食い下がってから、まだ半年しか経っていない。あれから、静岡県がんセンターにも、国立がんセンターにも行くようになった。11月30日からは、千葉県のがん対策戦略プラン検討部会員にもなっている。
2007年の予算請求の中で、「専門的ながん医療に携わる医師及び医療従事者の育成について」に、『がん医療は、手術、放射線療法、化学療法から緩和医療までが集学的に提供されることが必要・・』との文に涙がこぼれてきた。がんばったね。ここに入れてもらえるように、がんばったね。非公開の場だから、一部しか知られていないけれど、あの時の自分を褒めてあげたい。

今日、13日は、厚生労働省「がん対策の推進に関する意見交換会」の患者会ヒヤリングでした。何を伝えようか考えたけれど、他の人はがん医療全般だとしても、私はやはり緩和ケア!それも、「診断時からの緩和ケアの導入」「QOLを重視した医療への変換」を伝えていくことにした。患者の声に耳を傾け、患者のために何が一番いいのかを一緒になって考える。そんな形になれば、きっとがん難民なんていなくなると、私は信じています。私が提出した内容です。文が多すぎて5分では無理でしたが、思いが伝わったかな?

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