ピュア共同創設者 服部義博さんを偲ぶ 毎日新聞千葉2002.12.17の記事より |
街の色 人の詩 4 服部さんの"遺産"・・・・医療を地域で 在宅ケア市民ネット
「人としてプライドを持った最期を迎えるための援助をする医者でありたい」――。
NPO法人「千葉・在宅ケア市民ネットワーク ピュア」代表、藤田敦子さんは、今でもこの言葉をよく思い出す。
千葉市美浜区の病院に泌尿器科医として勤めながら、末期がんや泌尿器系患者の在宅医療に力を注いだ服部義博さんが生前、自らに課した医師としての生き方そのものだ。
服部さんは10年ほど前、一人の勤務医から"脱皮"した。家族に担がれるように外来に訪れた老人の姿を目にした
時、「自分が患者宅に行ったほうが自然ではないか」との思いが胸を駆け抜けた。以来、病院勤務を続けながら、
在宅医療にも仕事の幅を広げた。
病は時を選ばない。夜中でも、出勤前の慌ただしい朝も、携帯電話が鳴れば、患者宅に向かう。激務の中で、服部
さんはがんに侵された。痛み止めを打ちながら仕事を続けたが、昨年4月、力尽きた。52歳だった。
服部さんの生き様は"遺産"を残した。生前、服部さんは藤田さんらと共に、患者と病院、主治医、福祉機関などで ネットワークを作り、医療を地域ぐるみで取り組む「ピュア」の設立準備に取り組んでいた。服部さんの死後、藤田さんらが踏ん張り、昨年8月、設立にこぎつけた。
「在宅医療に長年取り組んだ服部さんの努力を無駄にしたくない」と藤田さんは言う。「在宅を希望する患者や
家族のために、医療と福祉事業の橋渡しをしていきます」
今年4月、服部さんのエッセー集「善人のための医療講座」(うらべ書房発行、1143円・税別)が出版された。
服部さんが「千葉をおもしろくする会」の機関紙「ねばぎば」に寄稿したエッセーを集めたものだ。
患者が親族と20年以上も音信不通だと知り、親族を探し出して患者を搬送し会わせようとしたこと。大好きな
ロッテマリンーズの追っかけ旅行先の福岡で痛みに耐えられず救急車に乗ったこと――。軽妙なタッチで、生と死
に向き合う日常の出来事がつづられ、服部さんの患者への思い、在宅医療にかける熱意がにじみ出る。
「こんな先生がいたんだ」という驚き。そして「こういう先生なら病を癒やしてくれるだろう」と勇気付けられる。
【渡辺洋子】
ピュアを作ろうと一緒に会則などを作っていた最中に、以前からの痛みの原因(がん)が発見され、わずか2ヶ月でかの地へ旅立っていかれましたね。服部さんが『在宅医療専門の診療所を作りたい』と夢を語り、訪問看護師さんの勧誘を熱心にされていた頃でした。私もコーディネーターとして、夢の一員になるはずでした。あの頃は介護保険が始まり、熱心な先生方に訪問診療が集中していましたね。今、生きておられたら、何を思い、どんな行動を起こされていたかと、残された者たちは残念な気持ちでいっぱいです。私には小さなことしかできないけれど、在宅の灯りを消さぬように、一生懸命がんばりますから、どうか見守って下さい。
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